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まなうらに、ただひとつ、ただひとり(+マイ武)





 力任せに押し開いたコーヒーショップのドアを出て、昼下がりの街を歩く。

 神経がじりじりとささくれ立つように無性に苛々して、そんな自分にまた腹が立った。

 この日は元々、龍宮寺とふたりで出かける約束をしていた。

 最近、休みの日は佐野や花垣と出かけることが多く、ふたりきりで出かける機会がすくなかったからたまにはふたりでゆっくり出かけるつもりだったのだ。

 けれど直前で龍宮寺に外せない用事が入ってしまい、約束は延期になってしまった。

 来週必ず埋め合わせをするからと、電話越しに謝る龍宮寺の言葉を、そのとき三ツ谷は笑って受け入れた。

 龍宮寺が安易に約束を反故にするような男ではないことなどとっくに理解しているし、普段から大事にされている自覚はある。

 だからべつに、約束が延期になってしまったことに対して、すこしだけ残念だったけれど、彼を責めるような気持ちはなかった。

 けれど予定がなくなり、ひとりで買い物に行った帰り、たまたま立ち寄ったコーヒーショップで、女性と寄り添って座っている龍宮寺と遭遇してしまったのだ。

 相手は三ツ谷が見たこともない女性で、年齢は自分たちと同年代だったところを見るに、彼が住んでいる店の女性というのも考えにくい。

 その女性は椅子に座る龍宮寺の肩に手を添え、寄りかかるようにして龍宮寺に凭れかかり、ねえドラケン、と甘えるような声で彼を呼んだ。

 龍宮寺は女性を丁寧を扱うわけではないけれど、女性に囲まれた環境で育っているせいか扱いを心得ているうえに、乱暴な所作とは裏腹に優しい男だから、昔からよくモテる。

 それをずっと間近で見ていて、いちいち嫉妬などしていたら身がもたないから、普段はそこまで気にしないのだけれど。

 女性と寄り添って座っているのを見かけたとき、なにやってんだよ、という気持ちを抑えられなかった。

 人との約束、破っておいて、と。

 龍宮寺のことだからきっとなにか理由があるのだ。

 三ツ谷に嘘を吐いて、不貞を働いているわけではないのだということくらい分かっている。

 けれど、抑えようと思っても、湧き上る苛立ちをどうしても抑えることができず、気付かれる前に店を出ようと思ったのだけれど、三ツ谷が踵を返す前に、龍宮寺が振り返った。

 そしてそこに三ツ谷が立っていたことに驚いたように見開かれた目を見たとき、耐えられなくなって店を飛び出した。

 目が合ったときの龍宮寺のすこしだけ驚いたような顔が脳裏に浮かび、ささくれ立つような苛立ちとわずかに胸を指す自己嫌悪。

 きっとなにか理由があって、龍宮寺に非はないんだろうと分かっているのに、三ツ谷の名前を呼んだ龍宮寺を無視した。

 普通に声をかけて、彼があの場にいた理由を聞いて、いっしょにいた相手が誰か聞いて、笑って立ち去るのがいちばん無難な振る舞いだと分かっているのに。

 クソ、と詰るように呟いたのはほとんど自分に対してだ。

 子供っぽくていやになる。

 とっとと帰って頭を冷やしたかった。

「三ツ谷、オイ、待てって」

 背後から呼び止める声を無視して歩き続ける。今龍宮寺の顔を見たら酷いことを言ってしまいそうだし、ろくに話ができる状態でもない。

「三ツ谷!」

 だから放っておいてほしいのに、龍宮寺が黙って帰してくれるはずもなく、腕を掴まれて無理矢理足を止められた。

「なに」

「なにじゃねえよ。言いてえことあんならちゃんと言え。黙って帰ろうとすんな」

「べつに、言いたいことなんかねえよ。放してくれる? 帰りてえんだけど」

「分かってると思うけど、そういうんじゃねえから。アイツいっこ上の先輩で、」

「聞いてない。いいから放せって、用済んだからもう帰りてえんだよ」

「話聞けって」

「……分かってるから」

 用事があって、たまたま立ち寄ったコーヒーショップで、たまたま遭遇した知り合いに声をかけられただけなのだろう。

 おおよその予想はつく。三ツ谷に嘘を吐いたわけでも、裏切ったわけでも、不貞を働いていたわけでもないことくらい分かっている。

 だから腹が立つのだ。

 分かっているのに苛立って、龍宮寺を責めようとする自分が嫌になるから。

「……分かってるけど、今話したくねえ」

「三ツ谷」

「落ち着いたら電話するから、もう放、」

「三ツ谷こっち向け」

 龍宮寺の顔を見たくなくて視線を俯かせれば腕を引かれ、龍宮寺と向き合うように体の向きを変えられる。真正面から見据えるのが嫌で、体をよじって腕を掴む手から逃れようとするが、腕を掴む力は強く、はなれることはない。

 しばらくそうやって抵抗しても、龍宮寺にもはなすつもりはないらしく、結局無駄な抵抗で終わった。

「勘違いさせるようなことした俺も悪いけど、思ってることあんならちゃんと言え。そうやって黙ろうとするの、いい加減どうにかしろよ」

「……………」

「お前は兄ちゃんだからそういうとこしょうがねえんだろうけど、俺はお前になに言われても困んねえから。な」

 腕を掴む手のひらから力がぬけ、ゆる、と腕を撫でられる。そうやってあやすように、宥めるように撫でられるのは、もう何度目になるのか。

 衣服越しに感じる大きな手の感触や肌に慣れた温度にどうしようもなく安心して、すこしだけ情けなくて。

 握っていた紙袋の持ち手をぎゅっと握り締めた。

「……なにやってんだよ」

 呟いた声が掠れて、わずかに震える。

 それだけで彼を詰るような声色が滲んでいることに龍宮寺も気が付いているはずなのに、腕を撫でる手がはなれていくことはなくて。

「……なんでべつの奴といっしょにいんの。さきに約束してたの俺だったじゃん」

「悪い」

 言い訳くらいしろよ、と思うけれど、彼が潔い性格であることもとっくに分かり切っていることだ。そういうところを、好ましく思っているのだから。

「………………」

「三ツ谷?」

 出かかった言葉を口にするのはさすがに憚られて、視線を俯かせる。

 龍宮寺は困らないと言ってくれたけれど、こんなこと、ほんとうは龍宮寺に言いたくない。

 こんなことを言ったって、どうしようもないことだと分かっている。

 それでも、湧き上る気持ちを抑えることもできず。

「……簡単に触らせてんじゃねえよ、ばか」

「……お前さあ」

 自分でも呆れるほど女々しいと思うが、龍宮寺の肩に触れていた女性の手が脳裏からはなれず、唸るような声で言えば、はああ、と目の前で盛大に息を吐かれる。

 恥ずかしいことを言っているのは重々承知で、けれどどうしようもない本心で、俯くしかない。

 呆れているのか、やはり困っているのだろうか。がしがしと首を掻いた龍宮寺が、なにかを言おうとして、また深く息を吐く。

 元々友人という関係からはじまった。今は恋人と呼んで遜色ない相手とはいえ、さすがに鬱陶しいことを言ってしまっただろうかとわずかに不安になってそろりと視線を上げるが、龍宮寺の顔を見る前に思いきり頭を撫でられた。

「ちょ、ドラケ、いてえよ」

「マジでお前……外で言うなよそういうこと」

「ごめんって。もう言わねえから」

 わしわしと頭を抑え付けるように撫でる手首を掴めば、ばか、と先程の言葉が返ってきた。

「ふたりのときに言えって言ってんの。外じゃなんもできねえだろ」

 なんもって、なにする気だ、と思いつつ掴んだ手首を頭から下ろして、ようやく顔を上げる。龍宮寺の言わんとしていることが分かるような、分からないような。

 先程まで話もしたくない、顔も見たくないと思っていた気持ちはどこかへ行き、龍宮寺の顔が見たくて視線を上げるが、そのときにはもう見慣れた顔が目の前にあった。

「ドラ、ん…っ」

 直後、ふに、と口唇にぶつかった感触の正体がなんだったのか一瞬理解できず、反射的に目を見開く。

 一度触れただけのその感触はすぐにはなれていって、数秒後、緩やかに瞬いた龍宮寺の瞳と目が合った。

「っ!? おま、ばっ、外!」

「誰も見てなかったし」

「そういう問題じゃ、んんっ、ぐっ」

「三ツ谷うるせえ。声でけえよお前」

 往来で憚りなくキスをされたのだという事実に頭が混乱して声を上げるが、大きな手のひらに後頭部を掴まれ、口を塞ぐように龍宮寺の胸元に顔を押し付けられる。

 外だとなにもできないと言った直後にこれだ。三ツ谷の頭を抱き込んだままはなそうとしない龍宮寺の脇に、文句を言うかわりにごつごつと拳を埋めれば、「いってえよ加減しろ」となぜか三ツ谷が文句を言われた。

「お前なあっ、」

 ようやく後頭部を押さえていた手がはなれていき、龍宮寺を見上げて文句を言おうと口をひらいたとき、ふとその肩越しにこちらを見遣っている人影に気が付いた。

 反射的にそちらに視線を向ければ、先程コーヒーショップで龍宮寺とともにいた女性で、あんぐりと口を開けてこちらを凝視している。

 その表情がなにを意味しているかなんて明らかで。

 見られた、と血の気が引く思いだった。

「ど、ドラケン、見られ、」

「いい、べつに」

 慌てて龍宮寺に知らせるが、龍宮寺は気が付いていたのか驚く様子も、焦った様子もなく、ただじっと三ツ谷だけを見下ろしていて背後を振り返ろうともしない。

「見られても、なに思われても、関係ねえから。お前の機嫌が直んならそれでいい」

「…っ」

 直った、と聞かれて、なにか言おうと口をひらくも言葉が出てくることはなく、諦めて口を閉じる。

 そんな風に言われたら、ひとりで拗ねて、一方的に龍宮寺を責めた自分が恥ずかしくなってくる。

「……馬鹿じゃねえの」

「あ?」

「機嫌取りたいなら、外であんなことすんなよ」

「それはお前があんなこと言うから……お前のせいだろ」

「はあ?」

 いつもとなにも変わらず、すこし高い位置で響く落ち着いた低い声に息を吐く。

 約束を延期されたとか、他の女といたとか、そんなことを気にしたことすら馬鹿馬鹿しくなってきた。

「もういいよ。……直った」

「なら良かった」

 頭上でふっと笑う気配がして視線を上げれば、優しく歪む瞳が見下ろしてくるのが分かる。すり、と腕を撫でる手も優しいものだ。

「……悪い。分かってたのに……ひとりで拗ねて、八つ当たりした」

「いいよ。困んねえって言っただろ」

 笑みを孕んだ声に、呆れたり辟易したような雰囲気は微塵もなくて、体から力が抜けていくのが分かる。

 龍宮寺の前ではいつもこうだ。

 落ち着いていよう、冷静でいよう、取り乱さないようにしようと普段通り心掛けていても、ふとしたときに子供みたいな感情を露呈させてしまう。

 他では、黙って、笑って、隠して、自分のなかだけで消化してしまうことも、龍宮寺の前では我慢できずすべて吐露して、彼にぶつけて。

 そのたびに自己嫌悪に陥っても、龍宮寺はただ笑うだけ。笑って、いいよ、と言ってくれる。

「……甘やかしすぎだよ」

「放っとくとお前はなんにも言わねえから、丁度いんじゃね」

 頭を撫でる手は先程と違って緩やかなもので、する、と蟀谷を撫でる指の感触に口端を上げて笑う。

 理由は分からないけれどなんだか泣きそうになって上手に笑えていなかったと思うけれど、見慣れた優しい瞳は満足そうに笑ったあと、「にしても妬いたりすんだな、お前も」とすこしだけ意地の悪い笑みを浮かべた。



 さすがにそのままその場に居座るのはいささか気まずく、しばらくしてからコーヒーショップをはなれる。

 話を聞けば龍宮寺の用事とやらはもう終わったらしく、このあとはいっしょに過ごすことになった。

「さっきお前にメール打ってたんだよ。今からでも逢えねえかって。そしたらさっきの奴に絡まれて、しかもお前に見られるし」

「電話くれれば良かったのに」

「元々出かけるつってたから電話気付くか分かんなかったし、返事返ってこなかったら電話するつもりだったんだよ。ま逢えて良かったわ」

 ごめんな、約束破って、と言われた言葉に首を左右に振る。

 その件についてはもう電話で謝られているし、元々気にしていなかった。

 それを重ねて謝られると先程の醜態を思い出して居たたまれなくなる。

 子供みたいに拗ねて、龍宮寺に八つ当たりしてしまった。思い出すと恥ずかしくなってすこしだけ顔が熱くなった。

「どうする? 映画でも観に行くか? 買い物終わったんだろ」

 こちらへ視線を向けながら尋ねてくる龍宮寺の言葉に、周囲を見渡す。

 龍宮寺の言う通り、買い物は済ませたし、ふたりで出かける予定はなくなったから行き先を決めていたわけでもない。

 コーヒーを買いそびれたから、なにか飲み物くらいは欲しいけれど。

「でも今観たい映画、とくにな、」

 龍宮寺の言葉に返事をしながら、なにげなくきょろ、と周囲を見渡したとき、目に飛び込んできた思わぬ光景に三ツ谷は思わず目を見開いた。

「ど、ドラケン!」

「あ? なんだよ、どした?」

「あれ、あれ見ろ!」

 反射的に龍宮寺の腕を引き、視線の先を指させば、三ツ谷に促されるまま視線をそちらに向けた龍宮寺はその姿勢のまま固まってしまった。

「あちこち行ったから結構歩きましたね」

「疲れた?」

「大丈夫っす! マイキー君こそ大丈夫ですか?」

「へーき。疲れたらタケミっちがおんぶしてくれんだろ?」

「が、がんばります……」

 三ツ谷の視線を釘付けにしたのは見慣れた街の風景ではなく、その風景の中で並んで立っている佐野と花垣の姿だった。

 脇のコーヒースタンドの店員から二人分のコーヒーを受け取った佐野が、そのうちひとつを紙袋を提げて立っている花垣へと手渡す。

 楽しそうに笑って話をしているふたりの姿はさほど珍しいものではないが、三ツ谷を驚かせ、龍宮寺を硬直させたのは、ふたりが連れ立って出かけているという事実である。

 すこし前まで、ふたりだけで出かけたことはないと、ふたりの口から聞いていたが、自分たちの知らないところでなにか進展があったらしい。

 いや、進展という言葉が相応しいかどうかは分からないが。

 時間帯的に食事も済ませたのか、それとも昼は済ませてから合流したのかは分からないが、花垣の「あちこち行った」という言葉から、おそらくふたりが合流してからそこそこの時間が経過していることが伺い知れる。

 花垣が紙袋を提げているところを見ると買い物をしていたのだろう。コーヒースタンドで買ったコーヒーをふたりで飲みながら、

「次どこ行きます?」

「タケミっちどこ行きたい?」

「えっと……」

「なんだよ」

「この先のゲーセンのUFOキャッチャーに新しい景品入って、それ欲しくて学校帰りとかたまに行ってんすけど……マイキー君はゲーセンとか子供っぽいとこ行かないっすよね」

「タケミっちが行きたいなら付き合ってやってもいいよ」

「マジすか?」

「うん」

 などと言葉を交わし、花垣曰く、クレーンゲームに新しい景品が入ったらしいゲームセンターがある方向へとふたり並んで歩いていく。

「……で、デー、」

「やめろ三ツ谷、口に出すな」

 トじゃん、という言葉は大きな手のひらに塞がれ、最後まで口にすることはかなわなかったが、口を塞いだということは龍宮寺にもそういう光景に見えたということだろう。

 もちろん、友人同士で買い物をしたり、コーヒーを飲んだり、ゲームセンターに行くことだってあるだろう。

 けれど、あのふたり、とくに佐野に関しては、花垣に対して抱いている感情が友情なのかどうか、あやしいところだ。

 三ツ谷としては、もうほぼ、友情ではないだろうと確信している。

 疑惑が確信に変わったのはすこし前のことで、それまでは友情なのかそうでないのか測りかねていたのだけれど、とあることを切っ掛けに、もう間違いなく友情などではないだろう、と確信してしまった。

「……ふたりで出かけるようになったか」

「どっちから誘ったと思う?」

「んー……タケミっちって線もねえわけじゃねえと思うけど、まあマイキーだろうな」

「なんで」

 怪訝そうな顔をしながら尋ねてくる龍宮寺になぜそう思うのか応えてやる。

 花垣が佐野を誘ったのだとして、花垣の性格と彼等の関係性を考えるに、行く場所も決めずに佐野に声をかけるということはないだろう。行く先、もしくは目的を決めて佐野に声をかけそうなものだ。

 花垣が提げているのはアパレルショップの紙袋で、買い物、しかも服を買いに行くのに佐野を誘うだろうか。

 そして誘った以上、ある程度の主導権も花垣が握ることになるわけだが、花垣が佐野をあちこち連れ回すというのは考えにくい。

 たとえ連れ回されたとしても、佐野は花垣には文句を言わないかもしれないが、それでも、花垣の性格を考えるとそれはないと思う。

 ゲームセンターに行きたいと口にしたときも、いくらか躊躇った様子を見せたことから、花垣が佐野を誘うとしたら自分よりまず佐野が楽しめるかどうかを考えるだろう。

「だからマイキーかなって」

「まあ……そう言われればたしかに……」

「……それに、なんか」

「なんだよ」

 もちろん、それでも花垣が誘ったという可能性が皆無なわけではないが。

 ふたりで逢う約束をして、買い物をして、休憩にちょっとお茶をして、相手の希望に合わせて向かう場所を決める。

「なんか……流れがデートっぽいから、誘ったのはマイキーだと思う」

「……だからデートって言うなって」

 龍宮寺はいまだ認めがたいところがいくらかあるらしいが、三ツ谷はもう間違いなく佐野は花垣に惚れていると思っているから、どうしてもそういう見方をしてしまう。

 直接佐野の口から聞いたわけではないから、三ツ谷の確信が当たっているのかどうかは定かではないが。

 三ツ谷としても、なぜそう思うのかと問われると明確な理由を説明できるわけではない。勘、直感、のようなものに近い。

「どうする? ついてく? って聞くまでもねえか」

「まだハッキリしたわけじゃねえしな」

 俺的にはもうハッキリしてるんだけど、という言葉は飲み込み、適度な距離を保ちつつ佐野と花垣の後を追う。

 ふたりの様子を伺っていることをふたりには知られたくないが、バレてしまったらバレてしまったで、偶然見かけたから声をかけようと思って、とかなんとか適当に誤魔化すこともできる。街中で見かけて声をかけることが不自然な仲でもない。

 時折カップに刺さったストローに口をつけつつ、話をしながらふたりは道を歩いて行く。

 やがて、花垣が言っていたゲームセンターに到着し、中へと入ってゆくふたりを追って龍宮寺と三ツ谷も店内へ入る。

 ゲームセンターという場所もあって、中はわりあいに騒々しく、距離があるためさすがにふたりの声は聞こえないが、店内の一角へ花垣が向かったことから、そこに目当てのクレーンゲームがあるのだろう。

 周囲にはクレーンゲームのゲーム機や別のゲームの筐体が数多並んでいるため、隠れてふたりの様子を伺うのに問題はなさそうだ。

 佐野を振り返り、クレーンゲームの中を指さした花垣はしばらくして財布を取り出し、景品を獲るために奮闘し始める。佐野は背後のクレーンゲーム機に寄りかかり、そんな花垣をただ眺めていた。

 佐野が口をひらき、何事か言ったあと、佐野に背中を向けたままの花垣が笑ってなにかを言い返す。言葉を交わしているのは分かるのだけれど、なんと言っているのかまでは分からず、それがもどかしい。

「全然聞こえねえ」

「もうちょっと近くまで行ってみる?」

「いやこれ以上近付いたら、タケミっちはともかく、マイキー絶対気付くから」

 大きな体をゲーム機の筐体に隠しつつ、もどかしそうにふたりを見ている龍宮寺の背中に寄りかかりながら、三ツ谷もその肩越しにふたりを眺める。

 放っておかれているというのに佐野はさして不満そうでもなく、笑いながら花垣に話しかけている。相変わらず、仲が良さそうだ。

 好きかどうかはともかく、お気に入りなんだよなあ、マイキーの、と思いながら安定感が半端ではない背中に寄りかかって、しばらくそんな光景を眺めていた。

 そうやって龍宮寺と三ツ谷にこっそり覗かれているなどと微塵も気が付かない花垣は、背後から飛んでくる野次に笑わされながらも、目の前の景品を落とすことに集中していた。

「もうちょっと右」

「右ですか?」

「やっぱ左かも」

「マイキー君わざと言ってるでしょ。適当言わないでくださいよ」

「あ? なにお前、俺の言うこと聞けねえの?」

「だってマイキー君の言うこと聞いてたら一生獲れないですよ」

「なんでだよ、もっと右だって」

「さっき左って言ったじゃないですか」

「右だったの」

「マイキー君ちょっと黙っててください」

 背後から投げられる声を笑いながらも後ろ手で制すれば、佐野が持ってくれている紙袋で背中を殴られる。紙袋の端がひしゃげたのが分かったけれど、今はそんなことに構っている場合ではない。

「ちょっと、邪魔しないで」

「は? 死ぬか?」

「俺今本気っすから」

「生意気言うじゃん、タケミっちのくせに」

「あっ、ちょ、もー! 変なとこでボタン押しちゃったじゃないすか!」

「俺のせいにすんなよ、タケミっちが下手だからじゃん」

「マイキー君が邪魔するからですよ!」

 クレーンを止める、ここぞというタイミングで紙袋で殴られたり、軽く蹴られたりするため、手元が狂ってしまい、中々思う通りに操作できない。

 背後から聞こえる佐野の声は楽しそうなものだから、わざとやっているのは明らかだ。けれど佐野が楽しそうだから、逐一腹も立たない。佐野がちょっかいを出してくるのなんていつものことだ。

「俺が獲ってやるって」

「いいっす、これは自分でとりたいんで」

 近寄ってきたのか、気配ですぐ背後に佐野が立っていることが分かる。クレーンを操作する手の横に佐野の手が置かれるが、その手に頼るつもりはない。

 マジで生意気じゃん、という甘く低い、笑みを孕んだ声がすぐ耳元で聞こえた。

「そのために通ってんすから」

「そんな欲しいの? ただのぬいぐるみじゃん」

「一目見たとき、ぜってえ獲ってやるって決めたんです」

 ふうん、と鼻を鳴らすように呟いた佐野の吐息がわずかに頬を撫でて擽ったい。じゃ早く獲れよ、と耳元で声がしてまた笑ってしまった。

「誰のせいすか」

「タケミっちが下手なせい」

 そう言って耳に慣れた声と背後の気配がはなれてゆくのが分かる。ちらりと背後を振り返れば、後ろのゲーム機に寄りかかった佐野が、早く獲れ、と促すように顎を揺らした。

 そしてまたクレーンゲームに集中しだす花垣と、それを眺めている佐野を、龍宮寺といっしょにすこしはなれたところから覗いていた三ツ谷は、若干出歯亀のような気持ちを味わっていた。

 ゲーム機に寄りかかって花垣にちょっかいを出していた佐野が、ふいにゲーム機からはなれたと思ったら、花垣のすぐ背後に近寄り、そのまま抱き込むようにして花垣の脇に手をついた。

 その瞬間余りの距離の近さに思わず声を上げそうになったが、寸でのところで押し留める。

 体が密着するのではないかと思わずにはいられない、すれすれの距離で、花垣と佐野の顔も頬が触れるのではないかと思うほど近かった。

「……マイキー、近くね?」

「……なんかこっちがドキドキするわ」

 花垣はゲームに集中していたからなのかもしれないが、その距離で笑いながら会話ができることに感心してしまう。

 友達にしてはやはり近すぎる距離だ。

 おそらく佐野は分かってやっているのだと思うけれど、もし佐野が本当に花垣のことが好きで、その気持ちを自覚しているとするなら、よく平然とした顔をしていられるなと思う。

 理性が鋼でできているタイプではないはずだが。

 しばらくそうやって出歯亀のような気分を味わいながらも、佐野と花垣の観察を続ける。

 佐野の邪魔もあって花垣は中々目当ての景品を獲得できずにいたけれど、すこしずつ動かしていったのか、やがて、騒々しい店内でも嬉しそうに響く花垣の声が聞こえてきた。

 身を屈めた花垣がゲーム機から取り出したのは、特徴的な顔をしたウサギだかネコだかのぬいぐるみだ。遠目ではよく見えないが、薄いピンクがかった柔らかいゴールドの毛並みがその手に抱かれているのが見えた。

「やっと獲れた! 長かった…!」

 龍宮寺と三ツ谷が出歯亀のような気分を味わっていた一方で、花垣はここ数日かけてようやく目当ての景品を手に入れることができた達成感に打ち震えていた。

 何度も佐野に邪魔されたが、最後の方はさすがにちょっかいを出してくることもなく、佐野はただ後ろで黙って見ているだけだった。

「良かったじゃん」

「はい! まあマイキー君には何度か邪魔されましたけど……でも獲れて良かったっす!」

 佐野の言葉に応えながら、腕に抱いたぬいぐるみを見下ろす。ふわふわとやわらかな毛並み。触り心地抜群だ。

「タケミっちぬいぐるみとか集めてんの? 好きなキャラクターとかか?」

「いやあ、一目見たときマイキー君に似てるなと思って。そう思ったら、なんか愛着沸いたっていうか……だからぜってえ獲ってやろう、と……」

 そこまで言って、ハッとした。

 景品が獲れた嬉しさでつい口を滑らせてしまった。

 ぬいぐるみを欲しがった理由はともかく、ぬいぐるみに似ているなどと言われて佐野が喜ぶはずもない。

 機嫌を損ねて、怒らせてしまうかもと血の気が引き、言い訳をするように慌てて口をひらいた。

「あ、色! 色が、マイキー君の髪の色と似てて、それでちょっとマイキー君っぽいなって」

 思っただけで、と語尾が掠れる。怒らせてしまったかも、と思うと佐野の顔を見るのが恐ろしく、ぬいぐるみを抱いたまま視線を俯かせる。

 佐野が無言のままなのが尚更こわい。

 一拍置いて、胸倉を掴まれるか、最悪拳か蹴りが飛んでくるかも、と身構えるが、しばらくそうやって俯いていても、予想したような衝撃も痛みもやってこなかった。

「す、すいませんマイキー君。マイキー君を馬鹿にしたわけじゃないんすけど……」

 いつまで経っても佐野からの反応はなく、そろ、と恐る恐る視線を上げる。

 不機嫌そうな顔をしているだろうと予想していたのだけれど、その予想に反して、佐野は不機嫌そうな表情を浮かべてはおらず、むしろ花垣を見てもいなかった。

「ま、マイキー君?」

 なにを見ているのか、首を傾け、横を見ている佐野の視線を追って花垣も視線を横に向けるが、ゲーム機があるだけで特別気になるようなものはなにもない。

 隣のクレーンゲームの景品が欲しいのだろうか。じっと横を見ている佐野は、数度瞬いたあと、なにかを考えるように口元に手を当てた。

「どうしたんすか? もしかして、具合悪いとか……」

「いや……べつに、なんでもねえ」

「そっすか? けど具合悪いんなら言ってくださいね」

「うん」

 口元に手を当てたまま、こくりと頷く佐野の表情はいつも通りだけれど、その指先がわずかに震えているような気がして眉を寄せる。

 もしかして、ほんとうは怒っていて、怒りの余り震えているか、或いは笑いをこらえているのだろうかとも思ったけれど、じっと横を見る表情はいつも通りで、怒っていたり、笑いをこらえているようには見えない。

「お、怒ってます……?」

「……怒ってないよ」

「ほ、ほんとに……?」

「うん」

「なら、いいんすけど……」

 ゆっくりと口元から手をはなした佐野は、ひどく時間をかけて、深く長い息を吐いた。

「似てる? 俺に」

 時間をかけて息を吐いたあと、顔を上げた佐野が腕の中のぬいぐるみを指して尋ねてくる。

 ピンクがかったやわいゴールドの毛並み、くるりとした大きな黒い瞳、悪戯っぽく笑う口元。似ているというか、どことなく佐野を彷彿とさせたのだ。

 性格や性質のせいで大人びて見えるけれど、佐野は童顔の気があって、顔自体は愛らしいと言っても遜色ない造りをしている。

 黒目がちの大きな瞳に、まろやかさを残す輪郭。柔らかい色をした柔らかな髪。

 苛烈な気性の持ち主だから、愛らしいという言葉は余り似合わない人ではあるけれど。

 やっぱり嫌だったかな、と思いつつも既に本心は吐露してしまったわけで、嘘を吐くわけにもいかずこくりと頷く。

「似てるっていうか、マイキー君を思い出すっていうか……す、すいません」

「なんで謝んの?」

「ぬいぐるみに似てるってさすがに失礼かなって」

「まあべつに嬉しくはねえけど……」

 珍しく歯切れの悪い佐野の言葉に佐野を見遣る。

 黒目がちの瞳と目が合ったと思えば、佐野はひらいていた口を閉じ、そのまま瞼を震わせるようにすこしだけ視線を下げた。

 ゆるやかに伏せられた瞼の奥に隠れた瞳が泣いているように見えて、ひや、と心臓が冷えた感覚が走る。

 けれど持ち上げられた瞼から覗いた瞳は泣いてはおらずホッとした。

「……出よっか、タケミっち」

「あ、はい」

 ふいに踵を返す佐野のあとを慌てて追いかけ、花垣も店を出る。

 屋内にいたせいで昼下がりの陽射しが眩しく、すこしだけ目を細めれば視界の端で佐野が笑っているのが見えた。



「なんか様子おかしくなかったか?」

 店を出た佐野と花垣を追って、こっそりと出口の方へ向かいながら龍宮寺が訝し気な声を上げる。

 たしかに、様子がおかしいといえばおかしかったのかもしれないが。

「様子がおかしいっていうか……」

「ていうか?」

「……俺達も行こ、ドラケン」

「おい三ツ谷」

「いいから」

 釈然としない様子の龍宮寺の腕を引き、半ば無理矢理店を出る。周囲を見渡せばすこしはなれた広場の方へ歩いて行く佐野と花垣の後ろ姿が見えて、龍宮寺の腕を引いたままそちらへ向かった。

「なんなんだよ、どうした?」

「いやちょっと、マジで冗談じゃないかも」

「あ? ……つうかアイツ等、なにやってんだ?」

「え?」

 先程見た光景を思い返しながら、思ったことを龍宮寺に伝えようと口をひらいたとき、頭上から怪訝そうな声が聞こえ、反射的に佐野たちへと視線を向ける。

 ふたりは広場のほうへ向かって行ったが、その広場ではなにやらイベントが催されているようで、黒いテントのような特設会場が設営されていた。

 立ち止まり、それを眺めていた佐野と花垣だったが、ふいに佐野が歩き出し、テントの方へと向かってゆく。その手にはしっかりと花垣の手が握られており目を剥いたが、花垣の様子を見るにどうやら三ツ谷が想像した雰囲気とはすこし異なるようだ。

 こんな街中で手を繋ぐなんて、と思ったけれど、繋いでいるというより掴まれて引きずられているといった方が正しいかもしれない。

 ずりずりと佐野に引きずられてゆく花垣の表情は恐怖に歪み、今にも泣き出しそうだった。

 距離があるためハッキリと見えないだけで、泣いているのかもしれない。

「……ホラーハウス?」

 テントの中へと入って行ったしまったふたりを追って、テントの入口まで駆け寄り、目に入った脇の看板に描かれた文字を読み上げる。

 入口付近で配られていたチラシを受け取り、内容を読むに、どうやらお化け屋敷の類らしい。10月という季節柄だろうか。

 なるほど、花垣が恐怖に歪んだ顔をしていたのはこのせいだったか、とどこか禍々しい雰囲気を醸し出しているテントを見上げた。

「タケミっち泣きそうだったな」

「ホラー苦手って前に言ってたしな。マイキーに無理矢理引きずり込まれたんだろ、可哀想に」

「アイツほんとにタケミっちのこと好きなのか?」

「好きな子いじめちまうタイプかもな。どうする? 出てくるの待つ? それとも俺等も入る?」

「お前ホラー苦手だっけ?」

「いや、全然」

「じゃつまんねえし外で待ってようぜ」

「つまんねえってなんだよ……」

 苦手だったら花垣同様引きずり込まれたのだろうか。

 ふたりが出てくるのを待つのに適した場所を探すために歩き出した龍宮寺の言葉に息を吐きつつ、広場を移動する。

 出口が見えて、出口からは見えにくい場所に移動して、佐野と花垣が出てくるのを待った。

「出てくるのに、そう時間かかんねえと思うけど」

「本格的なやつじゃないっぽいしな。チラシには大体10分くらいって書いてあったよ」

「マイキーいるし、もっと早く出てくるかもな」

「怖いもんなんてないからな、マイキーには」

 そんな会話を交わしながら、さっき思ったことをこの場で伝えるかどうか考えつつ龍宮寺を見上げる。

 今ここで伝えておきたい気もするし、佐野と花垣の動向を気にしていなければならないから、どこか落ち着いた場所で話したほうが良い気もする。

 どうするべきかと考えていると、予想通り10分もしないうちに佐野と花垣がホラーハウスの出口から現れた。予想通りというか、予想よりも随分早い。

 佐野と花垣というか、花垣が飛び出すように出てきたあと、笑いながら佐野が出てくる。

 花垣は恐怖に竦んで動けなくなるタイプかと思っていたが、どうやら走って逃げてしまうタイプらしかった。

 蒼褪めた表情で広場を駆ける花垣の目からはやはり涙が零れており、マジですぐ泣くな、と苦笑する。

 そんな花垣を追って、腕を掴んでつかまえた佐野は、花垣とは裏腹に楽しそうだ。

「はなしてください!」

「ごめんって。泣くなよタケミっち」

「ひどいですよマイキー君、脅かさないでって言ったのに!」

「だってあんなに驚くとは思わなかったんだもん。タケミっちすげえ声出てたな」

「だから苦手なんだって言ったじゃないすか! 俺すげえ怖がりなんすよ!」

「んなでけえ声で言うことかよ。ほら、こっち座れって」

 今にも声を上げて笑い出しそうなほど楽しそうに笑いながら、花垣の手を引いた佐野は広場の隅のベンチに花垣を座らせる。

 通りすがりの子供に「あのお兄ちゃん泣いてる」と指をさされて言われた言葉が佐野の耳にも届いたのか、佐野はついに吹きだしてしまったようだった。

「なに笑ってんですか!」

「ごめんって」

「俺行きたくないって言ったのに、マイキー君が無理矢理引きずっていくから……!」

 ベンチに座らせた花垣の前に立った佐野が肩を震わせて笑っているのが分かる。

 可哀想に、遊ばれて、と同情を感じずにはいられなかった。

 しばらくして花垣も落ち着いたのか、涙は止まったようだったけれど、さすがに佐野の行動に思うところもあったのだろう。どうやら機嫌を損ねてしまったようだ。

「だからさっきから謝ってんじゃん」

「笑いながら言われても説得力ないっすから! 謝るならちゃんと謝れよ!」

「はあ? なんで俺が謝んなきゃいけねえの?」

「状況分かってるんすかアンタ!」

 さすがに佐野が悪いと思うが、佐野に本気で謝れというのは無理な話だと思う。

 おそらく、悪いとも思っていないだろう。

 花垣の言う通り、笑っているのがその証拠だ。

 しばらく押し問答したのち、花垣が脅され、逆に花垣が謝って終わるだろうと思いながら、言い合っているふたりを眺めていた。

「折角途中まで楽しかったのに、マイキー君のせいで台無しですよ!」

 そろそろキレるころだな、と花垣の言葉を聞きながら、花垣を見下ろしている佐野の後ろ姿を見遣る。

 詰め寄られるか、頭を掴まれるか、はたまた体の脇に足を置かれるか。

 そうされることで我に返り、蒼褪めて謝罪の言葉を口にする花垣の姿も今まで何度か見てきた。

 なんだかんだ、そのへんの力関係は変わらないのだ。

「マイキー君の馬鹿! 鬼畜!」

 子供のように佐野を詰る花垣の声が響いたあと、佐野の頭が小さく動き、ため息を吐いたのが分かる。

 タケミっちのことが好きなら、マイキーも我慢すればいいのに、と思いながら、花垣を黙らせようとするだろう佐野の行動を眺めていた。

 だが、佐野は花垣に詰め寄ることも、体の部位を掴んだり、蹴りつけたり踏みつけたりすることもなく、なぜかその場に座り込んだ。

「マジでうるせえなタケミっち」

「うるせえって言うな、誰のせいだと思ってんすか!」

「だからごめんって言ってんじゃん」

 座り込んだ佐野を見下ろす花垣を見上げて言う佐野の声が笑っているのが分かる。

 三ツ谷はそれに愕然としたけれど花垣は佐野が笑っているのが気に入らなかったらしく、ふい、とそっぽを向いた。

「タケミっち」

「………………」

「こっち向けって」

 言いながら幼い子供にするように佐野は花垣の手を握る。ちらりと見えた佐野の横顔はやっぱり笑ったままだった。

「怒ると面倒くせえからなあタケミっちは」

「……マイキー君のせいじゃないすか」

「だって面白れえんだもん、泣いてこわがるタケミっち」

「人で遊ぶのやめてくださいよ」

「あんなちゃちいお化け屋敷、なんも怖くねえじゃん」

「俺はこわいんです!」

「だからでけえ声で言うことじゃねえし」

 また佐野の肩が小さく震える。

「……けどごめん。こわがらせて」

「……もうしないでくださいよ」

「それは無理」

「マイキー君……」

「でもこわがらせたらこうやって謝ってやるから」

「………………」

「だから機嫌直せって。な」

 タケミっち、と俯く花垣をあやすような声を出す佐野の言葉を愕然としながら聞くしかない。

 あのマイキーが、ともう何度思ったか分からない。

 あの佐野が。

 横柄で、横暴で、傍若無人なあの佐野が。

 まさか、人の機嫌を取るなんて。

「……見たことある」

「え?」

 ふいに、愕然とした声が隣から聞こえ、思わずそちらに視線を向ける。声同様、愕然とした表情で佐野と花垣へ視線を向けていた龍宮寺はまるでうわ言のように言葉を紡いだ。

「……昔、真一郎くんが、ああやって拗ねた女の機嫌取ってた」

「……そう、なんだ」

 もう返す言葉がなかった。

 いつもは言葉をなくしたり、硬直したりする龍宮寺を宥めてやるだけの余裕はあるのに、さすがに余りに衝撃的な出来事過ぎて、なんと言っていいのか分からない。

 あんな佐野、見たことない。

 謝っているのに始終楽しそうに笑っていて、機嫌を損ねた花垣に苛立った様子もない。

 佐野に宥められ、怒りも徐々に引いてきたのか、すこしずつ勢いを失くしてゆく花垣を見上げて、大きな瞳をゆるやかに歪ませる。

 またあの目だ。花垣にだけ向けられるなんとも言い難いあの眼差し。

 三ツ谷は佐野が花垣に対してあの眼差しを向けているのを見て、佐野の花垣に対する想いを確信した。

 静かな砂浜で、雨音が響く教室で、穏やかな陽射しが降り注ぐグラウンドで。

 佐野はきっと花垣に対する想いを自覚している。

 佐野が自覚しているからこそ、あの眼差しが花垣に向けられるのだ。

「……もうお化け屋敷には入りませんからね」

「ん」

「……たまに、にしてくださいよ」

「なにが?」

「……脅かすの」

 花垣の言葉を聞いて、佐野は目を細めて笑う。

「機嫌直った?」

「……はい」

 隣で龍宮寺が息を吐いたのが分かる。三ツ谷も同じように息を吐き、龍宮寺の腕を軽く叩いた。

 たとえ、三ツ谷が今の今まで佐野の気持ちに気が付いていなかったとしても、今、花垣を見上げて笑った佐野の顔を見たらきっと気が付いただろう。

 立ち上がり、すこし話をしたあと広場を出て歩いていく佐野と花垣はもういつも通りだった。

 時折顔を見合わせ、楽しそうに笑いながら、何事か話している。

けれど、すくなくとも佐野にとって、それが友情ではないことが三ツ谷には分かってしまった。



 佐野と花垣が見えなくなったあと、花垣が座っていたベンチに龍宮寺と並んで座り、空を仰ぐ。

 秋のよく晴れた空の端に夕暮れの色が滲んでいた。

「やっぱマイキー、タケミっちのこと好きなんかな」

「だろうね」

「けど前にタケミっちのことどう思ってるか聞いたときは、そんなこと一言も言ってなかったぞ」

「そりゃあ……マイキーにも言いにくいことのひとつやふたつ」

「俺にもか?」

 なんだその自信は、と思わないでもないが、たしかに佐野が誰かに相談するとしたら、それは龍宮寺しかいないだろうし、いちばんに彼に告げるだろう。

 佐野と龍宮寺は佐野と龍宮寺で、彼等だけの関係性を構築している。ある種それもとくべつな関係だと三ツ谷は思う。

 そこに妬みや嫉みなどといった感情は微塵もないが。

「……マイキー、すげえ好きなんだと思う、タケミっちのこと」

「だから?」

「だからドラケンにも……誰にも言わねえんじゃねえかな」

「あ?」

 三ツ谷には分かる、なんとなく。

 好きで好きでどうしようもなくて、自分の体がその感情に満たされているような感覚。細胞すら埋め尽くされていくような、自分ではどうしようもないもの。

 足を一歩踏み出すたび、腕を軽く振るたび、わずかに身じろぎするだけで、その感情が体からあふれて、零れてゆくようで。

 誰にも言えなかった。

 恥ずかしいとか、隠しておきたいとか、そういうことではなく、自分でもどうしようもない感情をどうして人に吐露などできるのか。

 好きだと、その言葉を口にせずともただ実感するだけで涙が出そうで、哀しくもないのに泣きたくなった。

 恋というのはそんな、筆舌に尽くし難いものばかりで、三ツ谷はそれをどう言葉にしていいのか分からなかった。

 その感情は全身を満たして尚あふれそうなほど大きく、泣きたくなるほど大切だと思うのに。

 この世にはそれを現わす言葉が好きだという、たった二文字しかない。

 たった二文字で現わせるようなものではないのに。

 だから誰にも言えなかった。それをうまく、言葉にすることすらできなかったから。

 さいわい三ツ谷には、それを受け止めてくれる人がいた。優しく笑って、低く落ち着いた声で、すべてを、好きだという二文字に込めてくれる人が。

「前に言ってたじゃん、マイキー多分初恋だって」

「持て余してるってことか?」

「……大事にしてんだよ」

 花垣のことも、花垣を好きだと想う気持ちも。

 だからあんなにも言葉にできないような眼差しを花垣へ向ける。

 言葉にできない気持ちを現わすすべが、それしかないから。

「うまくいくといいけどな」

「ん?」

「……結構しんどいからさ」

 誰にも言えない気持ちを受け止めてくれる人がいないのは苦しいことだということを、三ツ谷は身をもって知っている。

 だから三ツ谷に龍宮寺がそうしてくれたように、花垣が。

 佐野の気持ちを受け止めてくれればいいと、願わずにはいられなかった。









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