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信仰満ちる眦:閑話(+ドラみつ)





 いつもより早めにセットした携帯電話のアラームが三度ほど鳴ったところで布団から手を出し、アラームを切る。放置して鳴らしっ放しにしていると、隣で寝ている妹たちが起き出してきかねない。

 妹たちが起きてきたら朝食の支度をしたり、身支度を整えてやったりと手がかかる。普段の休日なら構わないけれど、この日はやることがあるため、もうすこし寝かせておきたい。

 まだいくらか眠いがこれ以上惰眠を貪るわけにもいかず、布団の中でしばらく停止してから、思い切って起き上がる。

「んんっ……ぁー……やるか」

 微睡の余韻が残る体を叱咤するように座った状態のまま、ぐ、と伸びをしてから立ち上がり、布団を畳んで着替えを済ませる。

 顔を洗って台所に立てば、初秋の朝の空気に満ちた台所はひやりとしていて心地良く、背筋の伸びる思いだった。

 米が炊けているのを確認し、冷蔵庫から材料を取り出してから手を洗う。フライパンを火にかけ、とりあえず卵をボウルに割り入れて掻き混ぜながら料理の段取りをざっと確認した。

 この日は地区の運動会が行われる日で、元々三ツ谷がひとりで参加する予定だったため弁当を作るつもりはなかったのだけれど、先日その話を聞いた龍宮寺がいっしょに参加すると言い出した。

 龍宮寺と運動会なんて思いも寄らない組み合わせだけれど、三ツ谷がひとりでこなさなければならなかった競技も分担して引き受けてくれるというし、いっしょに過ごすこともできるし、断る理由などなかった。

 交換条件に出されたのも、卵焼きが入ったお弁当、なんて可愛らしいもので、そのときのことを思い出すとつい笑ってしまう。

 家庭らしい家庭で育っていないせいか、龍宮寺は時折、そういった素朴で、三ツ谷にとってはなんの変哲もない普通のことを、ひどく喜ぶ傾向にある。

 余り表に出さないけれど、三ツ谷の前ではそれを素直に吐露することがあって、そのたびになんとも言えない気持ちになるのだ。

 三ツ谷の作ったものを口にするたび、美味い、と言って笑う龍宮寺の顔を思い出しながら熱したフライパンに溶いた卵を流し込みつつ、交換条件なんかなくても卵焼きくらいいくらでも作ってやるのに、と思った。

 卵焼きを焼いたあとも、手早く他のおかずを作ってゆく。ウィンナーを炒めたり、唐揚げを揚げたり、鮭を焼いたり。ハムも焼いたし、ネギを巻いた豚肉に味をつけたものも焼いた。トマト、しめじの胡麻和え、昨夜作っておいたカボチャのサラダも用意する。

 三ツ谷も龍宮寺も食べ盛りだし、龍宮寺は体格に見合った量を食うから、妹たちの弁当を作るときのように見た目に拘っている場合ではない。余ってしまっても龍宮寺に持ち帰らせれば良いため、量を作ることに越したことはないだろう。

 季節柄、きのこも美味いものが安価で手に入るため、米は炊き込みご飯にしようと思ったのだけれどいくらか面倒くさく、混ぜ込むだけのものを買い、半分を後混ぜの炊き込みご飯、半分を塩にぎりにし、塩にぎりには海苔を巻いた。

 最終的に5人分ほどの量になったが、余った分は冷蔵庫に入れておけば龍宮寺の明日の食事にできるだろう。季節柄傷んでしまう心配もない。

 すべてを詰め込めるほど大きな弁当箱が三ツ谷の家にはないため、とりあえず龍宮寺の分と三ツ谷の分だけ分けて弁当箱に詰め、残りの分はタッパーに詰め込んでゆく。

 おかずとご飯をすべて詰め込んだ袋はそれなりの重量になったが、それをかかえていられないほど非力でもない。

 弁当の準備ができたころに起き出し、朝から友達の家に遊びに行くという妹たちに食事をさせ、髪を結ってやったりしてから送り出したあと、三ツ谷も支度をして家を出た。



 龍宮寺、そして図らずも合流することになった佐野、三ツ谷たちの思惑によって招集された花垣とともに運動会の会場に入り、午前の競技を龍宮寺と分担しながらこなしてゆく。

 参加する競技のタイミングで、時折、佐野と花垣がふたりで残されることがあり、競技を終えたあとすぐにふたりの元には戻らず、すこしはなれた場所から気付かれぬようにふたりを観察してみたが、楽しそうに笑って話をしているだけで、ふたりきりになったからと言って、なにか変化があるわけでもない。

 シートの上にふたりして座り込み、膝に肘を立てて頬杖をつく佐野がなにか言って笑い、それに花垣が嬉しそうに笑いながら言葉を返す。たまにふたりで顔を見合わせて楽しそうに笑う。

 傍から見ても仲が良いのは分かる。問題なのは、佐野が花垣に対して、友達として接しているのかどうかだが、その真相はいまだ知れない。

「マイキー君走らないんすか?」

「ぜってえやだ」

「あんなに足速いのにもったいないすね。俺がマイキー君くらい走れたら、運動会なんて頼まれなくても走りますよ」

「なんで? 運動会とか面倒くさくね?」

「なんでって……そりゃあ、目立てますし」

「走んの速いからって目立つとは限らねえだろ」

「目立ちますよ。だって走ってるときのマイキー君めっちゃ格好良いっすもん」

「………………」

「だから俺もマイキー君くらい走れたら、マイキー君みたいに格好良くなれると思うんすよね。そしたらぜってえ目立ちますって」

 当然のことのように言う花垣の言葉に、佐野が息を吐くように笑ったのが分かる。

 手のひらで口元をわずかにかくしたまま、ふ、と肩を揺らした佐野が下からすくうように花垣を見上げた。

 それを目交いにして、なんだその目は、と思わないでもない。それが友人に向ける眼差しだろうか。

 友人に向ける眼差しだ、と佐野に言われれば三ツ谷には否定のしようもないわけだが。

「……目立ちたがり」

「普通じゃないすか?」

 笑いながらそんな話をしているふたりのもとへ、何事もないような顔をして戻る。視線を三ツ谷へと向け、「おかえりなさい三ツ谷君」と笑って迎えてくれる花垣に笑顔を返しながらもちらりと佐野の方を見れば、佐野の視線は三ツ谷を見るでもなく、花垣の横顔へ向けられているのが分かり、三ツ谷の佐野に対する疑惑をますます深いものにするのだった。

 そうこうしているとやがて龍宮寺も戻ってきた。

 午前最後の競技も終わり、午後の競技がはじまるまで1時間ほどの昼休憩だ。

 座り込んだシートの上で持参した弁当を広げれば、覗き込んでいた佐野と花垣が

「すげえ……!」

「さすが三ツ谷」

と感嘆の声を上げる。

 ふたりの言葉にいささかの照れくささを感じながら、三ツ谷も自分の分の弁当箱を広げた。

「俺とドラケンのはべつに詰めてきたから、そっちはふたりで食っていいよ」

「なんでケンチンだけべつなんだよ。俺のは?」

「だからそっちの食えって言ってんだろ」

「元々ドラケンだけの予定だったから、べつに詰めてきたんだよ。中身いっしょだから」

 龍宮寺だけ別個に弁当箱が用意されていることが気に食わなかったのか佐野はいささか不服げだったが、おかずが乗った皿を花垣に手渡されたあとは文句も言わなくなった。

「めっちゃ美味いっす。三ツ谷君マジで料理うまいんすね」

「とくにうまいって訳じゃねえと思うけど……まあ、よく作るからな」

「これだけ作れるってだけですごいですよ」

「そういう家庭環境だからってのもあるけどな」

 もぐもぐと頬を動かす花垣は三ツ谷の料理の腕を心から褒めてくれているのが分かり、気分は悪くない。「いっぱい食えよ」と言えば「はい!」と元気良く頷いて、その様がなんだか食欲旺盛な小型犬を彷彿とさせた。

「美味い?」

「美味い」

 隣に座って黙々と食べ続けている龍宮寺に尋ねれば、頷きといっしょに返事が返ってくる。わりあい大きな弁当箱に詰められたおかずが次々となくなっていく様は見ていて爽快だ。

 量も足りそうだし、龍宮寺の口に合ったのなら良かった、と思いながら三ツ谷も自分の弁当箱をつついていると、花垣がふとなにかに気が付いたように三ツ谷を見上げた。

「三ツ谷くんの弁当、端っこばっかりですね」

 言われた言葉に瞬きを返して、花垣へ視線を向けたあと、手元の弁当箱を見下ろす。三ツ谷の弁当箱には龍宮寺、そして佐野と花垣が広げているタッパーに入ったものと同じおかずが入っている。

 佐野と花垣の前に置かれたタッパーはサイズもそこそこ大きいため、作ったおかずをそのまま詰め込んだが、龍宮寺と三ツ谷の弁当箱はすべてのおかずを収めるために切り分けているおかずもある。花垣が言っているのは、それらのおかずのことだろう。

「真ん中の部分、全部ドラケン君のほうに詰めたんすか?」

「……っ」

 なんだか異様に恥ずかしいことを、しかも龍宮寺本人の目の前で指摘されたような気がして、思わず言葉に詰まる。

 花垣に言われた通り、弁当箱におかずを詰める際、切り分けたおかずの真ん中の部分を龍宮寺の弁当箱に詰め、残った端っこの部分を自分の弁当箱に詰めた。

 意識してそうしたわけではない。ほとんど無意識で、花垣に言われるまで自分でも気が付かなかった。

 たしかに弁当を作ったのは龍宮寺からのリクエストがあったからで、彼が満足する弁当を作ってやろうとは思っていたけれど。

 じわ、と頬が熱くなるが、花垣たちに気付かれるわけにはいかず、その動揺が表情に出ないようグッと堪えた。

「あー……俺、端っこのほうが好きだから……」

「分かります。端っこって結構うまいっすよね」

「タケミっち、唐揚げとって」

「あ、はい」

 佐野に皿を手渡され、言われた通り唐揚げを取り分けるために花垣は三ツ谷から視線を逸らす。そのことにホッと息を吐いたのも束の間、隣から視線を向けてくる龍宮寺と目が合って硬直した。

 切れ長の、深い黒橡の瞳が物言いたげにじっと三ツ谷を見つめている。すぐ隣に座っているのだ。花垣との会話は当然聞かれていただろう。

「マイキー君は料理とかできるんですか?」

「できるできねえの前にしねえし。タケミっちは?」

「できると思いますか?」

「思わねえけど」

「まあ目玉焼きくらいなら辛うじて焼けますけど」

「……固焼き派? 半熟派?」

「むしろ固くしか焼けないっす」

「裏っ返して潰せる?」

「え? まあ……やろうと思えば……?」

「じゃあいい」

「なにがっすか?」

 脇に座った佐野と花垣がそんな会話を交わしているが、今はそちらに意識を遣っている余裕などなく。

 じっと三ツ谷を見つめる瞳は逸らされることなく、相変わらず物言いたげに揺れている。その瞳は口よりも雄弁で、彼がなにを言わんとしているのか大体察せてしまうところが嫌だ。

「……うるせえ」

「……なんも言ってねえけど」

 違う、そういうつもりじゃなくて、と言いたいが、それを口にすれば墓穴を掘るだけだ。ゆえになにも言えず辛うじて言葉を絞り出す。

 返ってきた言葉に、目が言ってんだよ目が、と思ったこともとうぜん口には出せず、耐え切れず視線を逸らせば、それを見計らったかのようにちいさく低い声が呟いた「愛情こもっ、」まで聞き、反射的に強めに肘を入れてしまった。

 龍宮寺本人に知られてしまったこともそうだが、意識的にそうしたわけではなく、無意識でやっていたというのが尚更に居たたまれない。

 けれどもし、次また弁当を作る機会があったとしたら、同じことをしてしまうのだろう。

「つうか卵焼きマジでうめえ」

「……ドラケンがそう言うならもうそれでいいけど」

「毎日作って持ってこい」

「毎日って……無茶言うなよ」

 気に入ってもらえたのならなによりだが。

 本気なのか冗談なのか、真顔で言われた言葉に苦笑する。

 三ツ谷と弁当を見ながら、もぐもぐと頬を動かして黙々と食べている龍宮寺を見ていたら、先程まで感じていた居たたまれなさや気恥ずかしさが段々どうでも良くなってきて。

 絶えず動く頬を眺めながら、思わず笑ってしまった。



***



 昼休憩直後の競技を終えた佐野といっしょに、彼が獲ってきてくれた賞品のお菓子の詰め合わせをかかえ、元いた場所まで戻る。

 龍宮寺と三ツ谷は次に出る競技の話でもしているのか、すこしうしろのほうで立ち止まり、なにか話をしているが、幼い子供でもないのだからいちいち待っていなくてもそのうち戻ってくるだろう。

 そんなことを考えながらすこし前を歩いている佐野の背中を追いかけていると、歩きながら佐野が手を伸ばしてくる。

 それは彼が獲ってきた賞品に向かって伸ばされていて、素直に袋を差し出せば、佐野は片手で袋を開け、中に入っていた小分けになっているスナック菓子を取り出した。

「マジこんなん見たことねえけど」

「人気だからですかねえ」

「いや人気ねえからだって」

 眉を寄せて言ってる佐野に笑えば、片目を細めた佐野は手に取った袋を開けたあと、独特のにおいに顔を顰める。たしかにはじめはすこしにおいも気になるが、段々と癖になる味なのだ。

「これマジで人が食っても大丈夫なやつ?」

「大丈夫ですよ、美味しいんですって。マイキー君も食べてみてくださいよ」

「やだ」

「遠慮しないでいいっすよ。マイキー君が獲ってきてくれたやつですし」

「遠慮とかしてねえし」

「でも食べてみないと、んむっ」

 佐野にも味を知ってもらいたくて勧めたのだが、佐野に食べる気はないらしく、袋から取り出したスナック菓子を、摘まんだ指ごと口に突っ込まれた。

 口をひらいていたせいか、思ったより入り込んできた指を、咄嗟に噛まないように口を緩める。綺麗に切りそろえられた爪先が歯牙に触れ、かつ、と口内にかすかに響いた感触に反射的に肩が揺れた。

「タケミっちのために獲ってきたんだから、タケミっちが全部食え」

「ひゃい……」

 指に触れてしまわぬよう、舌を引っ込めたまま返事を返せば、ゆっくりと指が抜けてゆく。

 指が口唇からはなれる直前、下唇を摘まむように軽く抓られた。

「……うまい?」

「、え」

 一瞬、指のことを言われているのかと思い、喉の奥で言葉が詰まる。

 味を確認できるほど奥に突っ込まれたわけではないし、舌で触れたわけでもない。美味いかどうか聞かれても、よく分からなかった、というのが正直な感想だ。

 人の肉や皮膚を食した経験などあるわけもなく、知識としてもその味については分からない。

 ゆるりと細くなった呂色の瞳がなぜか思考を鈍らせ、視線をゆっくりと佐野の手へ向ける。

 花垣の手とさほど大きさの変わらない手。ゆえにさほど大きくはないが、節が目立つ男の手だ。反面、まろやかなカーブを描く指の腹。綺麗に切りそろえられた爪先。

 人の肉や皮膚を食ったことも、食いたいと思ったこともないのに、なぜかこくりと喉がなった。

 癖になる味なのかもしれない、なんて、そんな猟奇的な嗜好はないはずなのに。

「………………」

「やっぱまずいんだろ」

「え?」

 ふいに聞こえてきたこえにハッと我に返って顔を上げれば、佐野はスナック菓子の袋を揺らす。「まあどう考えても美味いとは思えねえけど」と言って顔を顰め、袋を持った手を自身から遠ざけている佐野の言葉に、自身の勘違いを悟った。

「あ、お、お菓子ですよね……」

 とんでもない勘違いをしてしまったことが居たたまれなく、ぎこちない笑いを返せば、顔を顰めていた佐野がふとこちらへ視線を向ける。

 かと思えばふっと口端を緩めて笑い、先程と同じようにまた、大きな瞳を細めた。

「……なんのことだと思ったの、タケミっち」

「っ」

 ゆるやかに歪む瞳は、けれどいつもとはすこしだけ違い、意地の悪さを孕んでいて。

 スナック菓子ではなく、佐野の指の味を想像してしまったことを見透かされたような気がして、頬がカッと熱くなる。

 熱を持った頬を隠すことができないまま、硬直することしかできず、じっと見つめてくる佐野の目に晒される。

 なにもかも見透かされてしまうんじゃ、という焦燥と、居たたまれなさ、気恥ずかしさが全身に広がって、いよいよ耐えられない、というころ、ふいと佐野は視線を逸らした。

「まべつにいいけど。それよりタケミっち、マジでこれ全部持って帰んの?」

 これ、と花垣がかかえているお菓子の詰め合わせを指さす。

「あ、ま、マイキー君が欲しいなら持って帰ってもらっても、」

「いやいらねえから。俺タケミっちと違ってゲテモノ食いじゃねえし」

「げ、ゲテモノじゃありませんよ。本当に美味しいんですって」

「分かった分かった。それは全部タケミっちにやるから。な」

 まるで幼い子供に言い聞かせるような口調で言われ、釈然としない気持ちで佐野を見ていたら、ふいに黒目がちの大きな瞳がまっすぐに花垣を見た。

「全部ひとりで食えよ」

「分かりましたよ、もうマイキー君には分けてあげないっすからね」

「そうじゃなくて」

 秋の穏やかな風が淡い色をした柔らかい髪を揺らし、黒目がちの瞳をすこしだけ隠す。それでもその眼差しがまっすぐに、柔らかく自分に注がれていることが分かって。

「タケミっちのために獲ってきたやつだから、他の誰にもやんないで」

「……………」

「全部タケミっちが食って。分かった?」

「……はい」

 言い含めるような口調。けれど今度は幼子に対して発せられるような声ではなかった。

 くするぐような、あやすような。低く甘い声はひどく柔らかく、優しく。

 敢えて言われなくても佐野以外の誰にもくれてやるつもりはなかったけれど、言われた言葉に素直にこくりと頷けば、呂色の瞳がゆる、といつものようにゆるやかに歪んだ。

「……貰ってばっかりじゃ申し訳ないんで、俺もなにかお返ししたいんですけど」

 歩き出した佐野を追いつつその横顔に声をかける。

「マイキー君、好きなお菓子とか食べたいお菓子とかないすか? どら焼きでもタイ焼きでもいいですよ」

「ただで貰ったやつだし、気にしなくていいよ」

「けど……」

「……じゃあ今度、ふたりでどっか遊び行こ」

 ふいに立ち止まった佐野にならい、足を止める。

「ふたりで出かけたことねえじゃん。日にち決めて、ふたりでどっか遊び行こ、タケミっち」

「ふたりでですか?」

「うん。いや?」

「っ行きたいです」

 ただ尋ねられただけだというのに佐野の口から否定を思わせる言葉が出てたことになぜかすこしだけ焦ってしまい、反射的に声を上げる。

 食い気味に返事をしてしまったせいか、佐野は大きな瞳をぱちんと瞬かせたが、ついで、吹き出すように笑った。

「はええじゃん、返事」

「……俺も、思ってたんで」

「ん?」

「マイキー君と、ふたりでって……」

「……じゃあ、行こっか」

「……はい」

 嬉しそうに笑う佐野に、花垣も嬉しくなって笑って頷く。

 出かける日をいつにするか話をしていたら、後ろから追いかけてくる三ツ谷と龍宮寺の声がして、ほとんど同時に振り返る。

 龍宮寺はなぜか佐野をじっと見下ろしていて、三ツ谷はそんな龍宮寺を見てかすかにため息を吐いたのち、龍宮寺の腕を摩るように撫でていた。

 グラウンドに次の競技が始まるアナウンスが流れ、穏やかな秋の風が吹き抜けてゆく。

 ふいに、最近すっかりおぼえてしまったにおいがして顔を上げれば、すぐ隣に立っていた佐野と目が合う。

 黒目がちな瞳は花垣の視線に気が付くとすぐに細められ、ゆるやかに、優しく笑った。









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