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土曜の夜のビオトープ





 ぎし、とベッドが軋む音と同時に、腰の内側、腹の奥が甘く疼いて、思わず声を上げ、体内に入り込んでくる肉を締め付ける。

 そうすると耳元で息を詰める音、次いで浅い吐息。

 たけみち、と名前を呼ぶ低い声がどうしようもなく甘く、声を上げるのも、粘膜を擦る肉を締め付けるのも、やめることができない。

 普段は余程激しく動いても汗ひとつかかず、息すら乱さない彼の、額や髪を濡らす汗がちいさな顎の先から落ち、肌を濡らす感触がたまらない。

 互いの濡れた肌が密着する感触も溺れてしまうほどに気持ちが良く、こうやって人肌の心地良さを知った。

「ぁ、も……っま、じろ…ッ」

「…っもうちょっと我慢して」

「…ぅ、アぁ…っ!」

 絶頂が近く、首に腕を回して目の前の頭を抱き寄せれば、ぐい、と足をかかえられ、さらに奥を穿たれる。

 疼いていた箇所を思いきり打ち付けられ、余りの気持ち良さに悲鳴のような声が出た。

 片手で腕の中の黒い髪をぐしゃりとかき混ぜ、空いた片手で白い背中に爪を立てる。

 冷静になってその痕を目交いにするたびに、もうやめよう、次は絶対に気を付けようと思うのに、快楽で馬鹿になった思考でそんな後悔を思い出せるはずもなく。

 一度目こそ強く突き上げられたが、ゆすゆすと奥を穿つ速度は緩く、けれど次第に速くなっていき、あ、あ、とだらしない声が立て続けにこぼれた。

「っめ、もうだめ、もっイ、ぃ…ッ!」

「…っん、…っ、は…」

 ぱぢゅ、と水気を帯びた肌が激しくぶつかる音がするのと同時に思考が焼き切れそうな感覚と肌を濡らす熱い吐息。射精するのと同時に、ぎゅう、と体内の性器を強く締め付け、間々あって薄い避妊具越しに中に吐き出されたのが分かった。

「…は、ぁ…あ……っ」

 性器を引き抜かれたあとも射精の余韻はしばらく続き、ちいさな頭を抱きしめながら悶える。震える指で無意識にまさぐっていた指通りの良い黒い髪から手をはなせば、口唇の形を合わせるような、濃厚ではないが軽くもないキスを一度。それから続けて二度、三度。

 合わせた口唇がはなれる際にお互いの間でだけ響く、ちゅ、というかすかなリップ音と、やわらかく食むような感触が心地良く、乱れた呼吸を整えながらも応えるように薄く口をひらく。

 口内に注ぎ込まれる熱い吐息がどうしようもなく体を震わせ、思わずその口内に齧り付けば、睫毛と睫毛が触れ合うかすかな感触を感じた。

「ん、…んぅ……」

 行為後ということもあって、口内を舐める舌の動きはゆるやかで、それに合わせてゆっくりとその舌に舌を絡める。触れて、舐めてははなれ、口をはなす前にまたキスをする。

 ちゅぷ、と口端からこぼれた唾液が口を合わせるたびに音を立てて、また首筋が震えたけれど、体が熱を取り戻す前にやわらかな口唇ははなれていった。

 二人分の体液で濡れた肌をはなし、白い瞼を伏せて、はあ、と息を吐いた佐野の前髪を指先でそっとすくい、耳にかけてやる。

 髪や頬、爪先で触れたこめかみも汗でしっとりと濡れていて、その事実がまた背筋をぞくりとさせた。

「……疲れた?」

「は? 誰に言ってんの?」

「万次郎以外いる?」

 挑発したわけではないのに返ってきた好戦的な言葉に笑い、笑っている口元にキスをする。

 鼻に慣れたシャンプーのにおいと甘い汗のにおい。それに混ざって、どこかまろやかでやわらかい佐野のにおいがした。

「まだする?」

「んー……」

 抱き合ったまま、なめらかな頬に頬を寄せれば、ふ、とすぐそこで笑う声がする。

「タケミっち、もう寝そうじゃん」

「だって今日何回目だと思ってるんですか」

「3回、……4回? 俺まだ余裕だよ」

 お互い様だけれど元気なことだ。良いことだが。

「けどもうタケミっち寝そうだし、今日はこのくらいにしとくか」

「…ぅん……」

「よしじゃあ風呂行くぞタケミっち」

「あれだけヤッたのに、ほんとう元気だよねマイキー君……」

 セックスは挿入する側の方が体力を使うとどこかで聞いたことがある。

 さほど珍しいことではないが、ふたりでベッドに潜り込んでから数時間は体力を消耗しつづけていたはずなのに、起き上がり、簡単に後始末をしてベッドから出ていく佐野の動きは体力の消耗を感じさせない。

 体力おばけ、と頭に浮かんだ言葉を口にすれば、またベッドに逆戻りする羽目になる恐れもあるため、口端に乗せた引きつった笑みを代わりにしておいた。

 向かうのは浴室ですぐに脱ぐことになるのだが、全裸で部屋を闊歩するのは憚られる。佐野はいつの間にか下着を履いていて、何故行為後にそんなに機敏に動くことができるのだろうと思いつつベッドから起き出す。

 床に散らばった衣服の中から拾い上げた下着を履き、行為後の倦怠感と脱力感でいささか力の入らない体をおし、浴室へと向かった。

 深夜のマンションの一室に、シャワーの音がちいさく響く。

 下着を洗濯機に放って浴室の扉をあければ、ほのかに立ち込める湯気の合間に白い背中が見えた。明るい場所で見ると、その背中に残る色濃い痕はことさらに鮮明だ。鮮烈ですらある。

 爪を立てた痕、吸い付いた痕、歯を立てた痕。

 まるで自分のものだと主張するみたいに。

 またやってしまった、と後悔すると同時にその背中にどうしようもなく惹かれて手を伸ばす。温い湯で濡れた肌はひたりとして気持ち良く、そのまま背中に寄りかかるように密着した。

「どした? 眠い?」

「……眠くは、ないんですけど」

 反響する囁くような声を聞きながら何気なく浴室の姿見へ視線をやれば、自分の体にも彼の体と同じように色濃い痕が残っているのが分かり、同じだ、と思って口端を上げて笑う。

 そっと体をはなし、白い背中に残る痕を指でなぞる。佐野はこういうときなにも言わず、いつも花垣の好きにさせてくれる。

 白い肌に残る引っかき傷や噛み傷は、佐野にとっては大した傷でもないだろう。けれど赤みを帯びた痕はやはりすこしだけ痛そうで、そこに触れるのは避け、代わりに星座のように点々とあるちいさなほくろを爪先で引っかけば、締まった体がくすぐったそうに震えた。

「人の体で遊んでんなって。ほら、座れ」

 白い肌をなぞっていたらさすがに痺れを切らしたのか、腕を引かれて浴槽の縁に座らされる。首のあたりからゆっくりとシャワーを浴びせられ、倦怠感の残る体を流れていく温いお湯の感覚にうっとりと目を閉じた。

「寄りかかってきたら体洗えないだろ。おいコラ、寝んな」

「……だって、気持ち良くて…」

 精液やら唾液やら汗やらで汚れてしまった体を拭うように、シャワーといっしょに体を撫でる手の感触が心地良い。勝手に傾いでいく体を支える腕に何度も押し戻されながらも、佐野の胸元に頬を押し付ければ、最終的にはぺしんと頭を叩かれた。

「そんなに気持ちいいんだ? 俺トリマーの才能あるかも」

「場地くんに雇ってもらえますね」

「場地が上司とか嫌なんだけど」

 べつのペットショップ行く、と言い張る声は力強く、まさか本気でトリマーを目指すつもりじゃ、と思わずにはいられない。まあ、数分後には忘れているだろうけれど。

 何度も佐野に起こされながら体を綺麗にしてもらったあと、浴槽の縁に座り込んだまま、佐野がシャワーを終えるのを待つ。先にベッドに戻っていていいと言われたけれど、眠いのと怠いので、もう自力で動きたくなかった。

 時折飛んでくるシャワーの飛沫を手ですくったり、浴槽の底を流れてゆくお湯を軽く蹴ったりしているうちに佐野もシャワーを終え、いっしょに浴室を出る。

 髪や体をタオルで拭ってから、下着が仕舞われている戸棚を開く。引き出しの中に並んでいる畳まれた下着を一枚取り出せば、「さっきまで履いてたやつは?」と背後から声をかけられた。

「汚れちゃったから洗濯機に入れましたけど」

「なんだよタケミっち、また汚したのかよ」

「……誰が汚したと思ってんだよ」

「タケミっちだろ」

「脱がせてって言ってるのに、マイキー君が待ってくれないからじゃないすか」

「人のせいにすんなよ。タケミっちが堪え性ないせいじゃん」

「はあ?」

「あ? 喧嘩売ってんなら買ってやるけど?」

「うっ」

 が、と背後から腹に両腕を回され、肩のあたりで低い声が響く。下手なことを言うと、このまま腹を力の限り締め付けられるであろうことは想像に容易い。

 昔に比べたら随分丸く穏やかになったとはいえ、血の気が多いところは変わっていない。

 もちろん、本気で手を上げられたことはないけれど、軽く締め上げられることは間々ある。

 上背はさほど変わらないのに、体格、体力、握力、腕力の差は今でも圧倒的に佐野が上だ。

 それを悔しいなどと思ったことはなく、いつも怯えるばかりなのがいささか情けないが。

「う、売ってませんよ……だからはなして……」

 ぐ、と腕に力を込められ、その力強さに慄きながら訴えれば、分かればいい、と耳元で低い声が響くと同時に腹に巻き付いた腕もはなれていった。

「もー……洗濯機、マイキー君がまわしてくださいよ」

 何事もなかったように髪を拭っている後ろ姿がいくらか恨めしく、批難するように言ってやれば、はいはい、と振り向くことなく等閑な返事が返ってきた。

 そのままにいっしょに部屋に戻り、交代で髪を乾かしたあと、床に散らばった服を着込む。

 ベッドに潜り込んですぐに脱いでいたため、すこし皺が寄ってはいたが下着と違い、汚れてはいない。部屋着であるため、皺が寄っているのもさほど気にならなかった。

 シャワーを浴び、佐野と話をしていたため眠気は飛んでしまっていたけれど、ベッドに腰を下ろせばまたすこしずつ眠気が戻ってくる。

 出しっ放しだったローションやら避妊具やらを片していた佐野をぼんやりと眺めていたら、佐野は避妊具の箱をじっと覗き込んだあと、もうなくなりそう、と振り返って箱を揺らした。

「最近減り早いんだよね。業務用買うか……?」

「……どこで?」

 わりと本気で言っているらしい佐野に思わず尋ねる。買おうと思えば手に入れる手段などいくらでもあるのだろうけれど、その手を商売をやっているわけでもない、ふたりで暮らしている普通のマンションの一室に、業務用の避妊具を置くのはさすがに気が引けるというか、正直嫌だ。

「つうか減り早いって、使ってるのマイキー君でしょ」

「俺ひとりで使ってるわけじゃねえし。タケミっちのためにつけてんじゃん。タケミっちこそ、ほんとうは生のが好きなくせにな」

 箱を仕舞ったあと、隣に腰を下ろし、黒目がちな瞳を愉しげに歪ませて顔を覗き込んでくる佐野から目を逸らす。

……たしかに、きらいではないけれど。

 愉しげに笑う顔が近づいてきたかと思えば、そのまま頬に口唇を押し当てられる。気が付けばぐいぐいと密着してくる体を、何故かいつも押し返すことはできず、されるがままになる。

 頬や髪、口唇、首筋にやわらかな口唇の感触を感じるのと同時に、指通りの良い黒い髪が肌を撫でてくすぐったい。

 そのままベッドに組み敷かれ、そのあいだももぞもぞと動く感触に堪え切れず笑い声を上げ、ようやく落ち着いたころに目を開ければ、天井を背景に見下ろしてくる佐野の顔が目の前にあった。

「する?」

「冗談でしょ」

 冗談めかして聞いてくる佐野に笑いながら返し、戯れつくように落とされるキスを避けるように首を竦める。

 密着してくる体からは風呂上りのいいにおいと、やっぱり佐野のにおいがした。

 傍にいればそうやって戯れ合いになるのはいつものことで、一頻り遊んだあと、ようやく室内灯を落してベッドに横になる。先に横たわるのは大体佐野で、花垣の寝るスペースはいつも彼の腕の中くらいしか残されていない。

 だから仕方なくそのスペースに潜り込むのもまた、いつものことだった。

「タケミっち、まだ髪ちょっと濡れてんじゃん。ちゃんと乾かせよ」

「乾かしたつもりなんですけどね……」

「そんなんだから朝爆発してんだよ」

「マイキー君だって昔すごかったじゃないですか」

「昔だろ」

「……今でもたまに寝癖すごいですけどね」

「うるせー」

「いででででっ」

 ぎりぎり、と体を抱く腕に締め上げられ、圧迫感と息苦しさ、腕が食い込む箇所に走る痛みに夜中だということも忘れて声を上げる。わずかばかり自由の効く手のひらで、固い体を何度か叩くと、ふん、と頭上で鼻を鳴らされた。

「もうちょっと加減してくださいよ……」

「加減してなかったらタケミっち気絶してるから。もういいから寝ろ」

「マイキー君が寝かせてくれないんでしょ……」

 たしかに加減はしてくれているのだろうけれど、腕から力が抜けたあとも、締め付けられた箇所はじんじんと鈍く痛む。

 向かい合った体勢のまま、寝心地の良い場所を探してもぞもぞとしばらく身じろいだあと、そっと佐野の顔を見上げてみる。白い瞼は既に閉じていて、いくらか童顔の気がある彼の顔を一層幼く見せていた。

「……万次郎」

「…ん?」

「……おやすみ」

「ん、……」

 おやすみ、と半ば夢と現を彷徨いながら返ってきた言葉を聞いて、佐野の胸元に顔をうずめるようにして目を閉じる。

 いつから、この腕とこのにおいを感じながら眠りに落ちるのが当たり前のことになったんだったか。

 そんなことを考えているとあっという間に睡魔に飲まれ、やわらかく甘いにおいに沈むように、温く心地良い泥濘のような眠りの底へ落ちて行った。


 翌朝、ほとんどいっしょに目を覚まし、隣で起き上がった佐野に寝ぼけ眼のまま挨拶をする。

 同じようにぼんやりと目を瞬かせていた佐野はしばらくじっと花垣を見つめた後、曰く、爆発しているらしい頭を見て、挨拶を返すより先に吹きだすように笑った。









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